上技師がつくるあられThe ARARE made by Jowaza-shi

最高峰の技・味を誇る
上技物あられ

あられは日本元来の菓子として、宮廷での嗜好品やおもてなしの品として、重宝されてきました。
一方、手軽な贈り物や家庭でのお茶受けなど、手軽にいただける愛用菓子としてのあられもあり、さまざまな種類が存在します。
中でも、上技物あられは最高峰の技・味を持つ特別なあられ。
愛用菓子としてのあられが餅を刃物で切ったシンプルなものであるのに対し、専用の道具で型を抜き、あられ生地ひとつひとつに手作業でほどこした美しい絵柄が上技物あられの証です。
厳選の素材を生かした豊かな味はもとより、美しい型と繊細に刻まれた華やかな紋様。
『見て美しく、食べておいしい』京西陣菓匠 宗禅の上技物あられで、美味しさの真髄をお楽しみください。

菓匠 宗禅、上技師の匠

現在、上技物あられをつくることができるのは京西陣菓匠 宗禅の店主 山本宗禅と、山本宗禅に上技物あられを伝えた高木哲弘の2名のみ。

上技物あられは、火入れやあられ生地の乾燥具合、型抜きや溝入れのわずかな力加減など、繊細な職人の手仕事によって支えられています。

大変な時と手間を要するものですが、この文化を、本物の味を後世に残すという熱い想いとともに受け継がれているのです。

宗禅の店主 山本宗禅

100年の伝統と技を
歴史を刻む

山本宗禅は上技物あられの技術を継承し、京西陣菓匠 宗禅を創業しました。

京西陣菓匠 宗禅における上技物あられの歴史は、大正12年 大阪天狗堂にて髙木治があられの製造に携わることに端を発します。

第二次世界大戦中、米が手に入らず一旦は製造を離れるも、昭和21年頃より製造を再開。大阪 都島にて丸哲製菓を創業しました。

昭和40年 息子である高木哲弘が二代目を継承し、あられの技を磨きに磨き、現在の『亀』や『宝舟あられ』など上技物あられの技術を確立しました。

素晴らしい技術を持つ高木哲弘が外的要因によりのれんを下ろすと知った山本宗禅(当時 佳明)の「上技物あられの技術を後世に残したい」という熱意により、平成16年 上技物あられの技術を山本宗禅へ継承。京西陣菓匠 宗禅として『黄金亀』や『紅白亀甲餅』、『極朱珍』などを開発し、現在に至ります。

写真左/高木治、写真右/高木哲弘写真左/高木治、写真右/高木哲弘

写真左/高木治(明治38年10月12日生まれ)、
写真右/高木哲弘(昭和15年2月3日生まれ)

上技物あられ製造の工程や宗禅のあられづくりについて、コラムページでもご紹介いたします。

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